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『紅い眼鏡/The Red Spectacles』(あかいめがね・ザ・レッド・スペクタクルズ)は、日本の映画である。 == 概要 == 1987年にキネカ大森などで公開された〔ほぼ同時期の1987年4月24日から5月15日までシネマスコーレにおいて上演されている。撮影に使用されたプロテクトギアの展示やグッズの販売もあった。〕。 それまでもっぱらアニメを手がけてきていた押井守の初実写監督映画作品である。後にケルベロス・サーガと呼ばれる押井守の作品群の第1作に当たる。 映画公開に先駆けて1987年1月にラジオ日本『ペアペアアニメージュ』の番組内で押井守脚本による全6回のラジオドラマも放送された〔押井守『すべての映画はアニメになる』徳間書店、2004年、p.393 ISBN 978-4198618285〕〔原口正宏「押井守検証インタビュー」『前略、押井守様。』野田真外編著、フットワーク出版、1998年、p.346 ISBN 978-4876892853〕。 当初は、声優の千葉繁のプロモーション・ビデオを作るという話で16mmフィルムで撮影する500万円規模の作品として1986年1月に企画されたが、徐々に話が大きくなり、35mmフィルム撮影の映画製作にまで膨らんでいた〔『B-CLUB』Vol.16、バンダイ、1987年、p.20〕〔アニメージュ編集部編『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界 PERSONA増補改訂版』2004年、徳間書店、p.114 ISBN 978-4197202294〕。千葉は押井が監督を務めていたアニメ『うる星やつら』の人気キャラクター「メガネ」を演じており、製作したオムニバスプロモーションは『うる星やつら』の音響製作会社、プロデューサーの斯波重治も同社の音響監督であった〔。本作のプロテクトギアも『うる星やつら』に登場するメガネのパワードスーツが起源である〔押井守『映像機械論メカフィリア』大日本絵画、2004年、p.23 ISBN 978-4499227544〕。 出演者は主演の千葉を始めとして、『うる星やつら』で共演していた声優やアニメ業界関係者〔漫画家のゆうきまさみ、メカニック・デザイナーの出渕裕がエキストラで参加。〕が多く参加。千葉らのスケジュールを考慮し、撮影は土、日、月曜日の深夜を中心に行われたという〔『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界 PERSONA増補改訂版』p.115〕。スタッフも脚本の伊藤和典など『うる星やつら』の関係者が参加し〔『映像機械論メカフィリア』p.36〕、その他には日本映画学校の学生を起用した〔「じんのひろあきインタビュー」『前略、押井守様。』野田真外編著、フットワーク出版、1998年、p.109〕。小道具もスタッフの持ち込みという自主製作映画に近い体制で(安価な小道具の調達、拾い物の活用、ロケ現場の清掃作業、撮影スケジュールに合わせたセット構築など、美術スタッフの作業は過酷を極めた〔『B-CLUB』Vol.11、バンダイ、1986年、p.67〕)、当初16ミリフィルム撮影で500万円から600万円の予算を予定していたがプロカメラマンを起用して35ミリフィルムで1000万円という話になり〔アニメージュ編集部編『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界 PERSONA増補改訂版』2004年、徳間書店、p.114〕、最終的に2500万円になったものの、かなりの低予算で仕上げている。プロデューサーの斯波は自宅を抵当に入れて製作費を捻出し、出演者はノーギャラと一部で言われているが、実際にはギャラを払っている。ただしお願いして通常の出演料の半分の額だったという〔『まんだらけZENBU』61号、まんだらけ出版、2013年、p.221。斯波重治インタビューより。〕。 事前のアニメ雑誌等での記事では、主人公が着用する特殊強化服のプロテクトギアが前面に出されて、あたかもアクション映画であるかのようであったが〔渡辺隆史、井上伸一郎「対談 編集長が覗いた押井守の奇妙な世界」『キネ旬ムック 押井守全仕事 増補改訂版 「うる星やつら」から「アヴァロン」まで』キネマ旬報、2001年、p.70 ISBN 978-4873765600〕、実際には迫力のあるアクションはプロローグのみ、後はその後日談と言う構成〔肝心のプロローグと本編の間は映画『ケルベロス-地獄の番犬』で描かれる。〕、映像はほぼモノクロ、台詞中心のストーリー構成で粗が見えないように夜間シーン中心〔という節約に勤しんだ演出となった。ジャン=リュック・ゴダールの『アルファヴィル』と鈴木清順の『殺しの烙印』、ウォルター・ヒルの『ウォリアーズ』が参考にされている〔。さらにアニメ監督である押井守らしく、事前に絵コンテを描き、それにあわせて役者が演技する形になっている〔『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界 PERSONA増補改訂版』p.53〕。 学生時代には映画青年で8ミリフィルムで実写の自主制作映画も作っていた押井は、これを機に実写方面にも表現の幅を広げることになった。ちなみにこの方法はアニメ・実写問わず形を変えて度々使用することになり、押井の弟子と言われる神山健治のテレビアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』にも引き継がれている。 音楽には斯波重治により川井憲次が起用された〔『ロマンアルバム イノセンス押井守の世界 PERSONA増補改訂版』p.54〕。その理由は、低予算でも多彩な音を作れるという事情によるものであったが、以後の押井作品には欠かせない存在となる。 その川井が作曲したメインテーマ曲「The Red Spectacles」は、1989年から新日本プロレスに参戦したサルマン・ハシミコフを始めとするソ連出身の格闘家のレッドブル軍団、1998年から総合格闘技イベントPRIDEに参戦したウクライナの格闘家イゴール・ボブチャンチンの入場曲に採用され、本作を見たことのないプロレスファン・格闘技ファンにもお馴染みとなっている〔杉江松恋「第七章 固有戦略論 押井守作品ファイル 紅い眼鏡」『押井守論』日本テレビ、2004年、p.253〕。 公開後VHS、LD化された後、ほど無く廃盤。2003年2月にDVD-BOX「押井守シネマ・トリロジー 初期実写作品集」においてDVD化され、単体版は2010年4月にリリースされた。 斯波はこの作品の予告編を、自身が音響を担当した『天空の城ラピュタ』の収録最終日に宮崎駿と高畑勲に見せて感想を求めたが、宮崎はキョトンとして何も言わず、高畑は「判断のしようがない」と終始曖昧に言葉を濁していたという〔『ロマンアルバム・エクストラ 天空の城ラピュタ』徳間書店、1986年〕。宮崎はその後、本作のパンフレットに「押井さんについて」と題した文章を寄稿している。この中では、自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画(『アンカー』を指すとみられる)がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話のあとに、「ぼくは実写映画に関心も興味もない。時たま、ほんとに時たまの気まぐれな観客の立場から出る気はない。だから、押井さんが映画少年をいまだにひきずっているのを見ると、アニメーションの監督を実写の人がやるような違和感しか感じない」と述べた上で、本作には押井が「何を考えているか」が「いちばんはっきり表現されていると思った」、(本作を見ているうちに)「70年のバリケートの中にいる高校生の彼が、俺にとって現実と呼ぶに価するのはこの瞬間だけだといまも叫んでいる気がした」と記している〔これらのあとに、押井作品のキャラクターが相互の人間関係に「ふみこまない」ことへの不満を述べ、「押井さんの登場人物が他者に手をさしのべ、ウソッパチでもその時だけの真情でも、気まぐれでもいいから、他人と泥くさいかかわりをジタバタする作品こそ、ぼくは観たい」と続けている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「紅い眼鏡/The Red Spectacles」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Red Spectacles 」があります。 スポンサード リンク
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